修理の理念と工程
修理理念について
文化財とは、私たちの目の前にある単なる「もの」ではなく、いくつもの世代を重ね、昔の人々が守り伝えようとした「こころ」が宿っています。偶然ではなく、必然として存在しています。次世代に残したいという「こころ」があったからこそ、今こうして私たちは文化財から様々な感情や多くの学びを得られているのです。
文化財の持つ長い歴史の中で、私たちが修理で対面するのはほんの一瞬です。しかし、その一瞬で判断を誤ると、「もの」も「こころ」もこの世代で朽ち果ててしまいます。
そうならないために、弊社では以下の修理理念のもと、日々修理に取り組んでおります。
可逆性を重視する
文化財修理は、ただ“キレイに直す”のではなく、“将来再修理できるように直す”ことが大切です。折れだらけの掛軸が修理後にいくらキレイに掛かっていても、それだけではいけないのです。信頼できる素材の修理材料を用いて安全な技術で修理し、修理内容の詳細を記録に残します。将来の技術者が修理しやすい状態で残し、次の修理に繋げることも、末永く文化財を残していくためには重要なことです。
安心・安全な材料と技術
弊社の修理では、生産者・原材料が明確で伝統的な方法によって製造された材料を使用しています。これらの材料(素材)は昔から使用されてきた数百年の実績があります。現在では、様々な便利で安価な材料がたくさんありますが、原材料や生産工程が不明瞭であったり、化学的に処理されたものも多く、経年の安全性や耐久性が懸念されるものもあります。実際に、近年、この様な材料を用いて修理した作品の再修理依頼が増えています。通常であれば、修理周期は50~100年ほどで巡ってきますが、それらは10年も持たないうちに再修理が必要になっているケースが多々発生しております。安全性に実績のある伝統的な材料を使用することは、文化財修理において欠かせません。
また、私たちは、伝統的な装潢技術を基盤としながら、一方では日々進歩する現代技術や知識を取り入れながら修理しています。これまで行われてきた伝統的な技術だけが安全であると過信せず、現代の科学で裏付けされたより確証のある技術も駆使しています。今できる最適な修理を模索しながら、日々修理に取り組んでおります。
紙
補修や裏打ちに使う紙は、昔からの技法である手漉き紙を使用します。冊子、巻子、古文書の修理の場合、虫により侵食された無数の穴を埋めて補修することが主となりますが、作品の紙質や風合いに合わせて補修紙を作ります。もし現代の工業的に作られた紙を使ってしまうと、昔の紙とはそもそもの製作工程が違うため、風合いが異なり、補修箇所に違和感が生じてしまいます。また、工業的に作られた紙は化学処理した原材料を使用したものも多くあり、それを使用して修理をした場合、将来的に文化財に悪影響を及ぼすことも懸念されます。また、裏打紙は長年表装に実績があるものを厳選しています。
糊
伝統的な工法で作られた書画の修理に使う糊は、新糊と古糊の2種類あり、工房で原材料から炊いて製造しています。材料は小麦澱粉と浄水のみで、防腐剤等を一切使用しておりません。古糊は新糊を約10年間冷暗所で成熟させた糊で、毎年1月の大寒の頃に大量に炊いて作製しています。これらの糊は、水を与えることで剥がすことができるため、作品に過度な負担をかけることなく再修理ができます。
作品本来のあるべき姿を大切にする
文化財の多くは、現在までに修理を繰り返し、伝世される過程で、使用目的の変化や傷みなど様々な理由により当初の姿から変化しているものも多く見られます。
文化財修理の理念として「現状維持修理」を基本としていますが、必ずしも今現在の姿形をそのまま伝えればよいものではありません。修理期間中に入念な調査を行い、有識者や所有者などと話し合いを重ねることで、本紙が有する価値の本質を見極め、本来のあるべき姿を追求することが大切です。
今現在の最善を尽くす 未来に託す選択も大切
文化財修理の分野では、日々新たな技術や材料が研究され実用に至っているものが多くあります。私たちは伝統的に培われた技術と最新の方法を駆使し、今持てる技術で最善を尽くします。しかし時として、文化財の損傷には今の技術でこれ以上踏み込んで処置して良いのか躊躇される事案があります。自らの技術に過信することなく、未来の修理技術の進歩に託して今できる最低限の処置に留める判断をすることも必要な場合があります。